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寝れなかった。
うとうとしては、目が覚めて、体の痛みに耐えていた。
数時間おきに看護師さんがやってきて、
点滴のチェックをしてくれていた。
そのまま朝になった。
すでに曜日感覚がなくなりつつあった。
6時過ぎに看護師さんが来て、
「水飲めるよ~」
って、氷水をコップに入れて持ってきてくれた。
ちょっと一息。
そういえば点滴をしているからか、
あまり喉の渇きは感じていなかった。
丸一日飲まず食わずなのに、不思議。
手術後からどのくらいのペースかわからないが、
血圧、体温、パルスオキシメーターを計測しに看護婦さんがやって来ていた。
血圧低いねーと何度言われたことか。
(ちなみに私は昔から85/45くらいの低血圧です。)
そういえば最初に対応してくれた新人ちゃんも来てくれていたが、
最初以外はしっかり対応してくれていた。
先輩がいないからかな?他の仕事は慣れているからかな?
とりあえず、安心だ。
10時頃、看護師さんが2人やってきて、起き上がらせてくれるとのこと。
ます、ベットの背を上げた。
起き上がった時点で足のポンプを外してくれた。
これで多少スッキリした。
メディキュットみたいな靴下はそのまま。
起き上がったときはけっこう変な感じがしたけど、
不快感や吐き気、フラフラすることはなく、無事着席。
入院経験のある何人かに、起き上がったときかなり大変だったと
聞いていたので、何もなくて良かった。
今もまだ尿管は装着されたままだったので、
それは引き続き気持ち悪かった。
それから看護師さんたちに支えられ、ゆっくり立ち上がる。
無事立つことができた。
ゆーっくり歩きながら部屋の外に出て、ナースステーションの近くでUターン。
ゆっくり戻って着席。
20mくらい歩いたのかな。
お腹に少し違和感はあったけど、もう痛みは少ししか感じなかった。
縫い付けられた、突っ張ったような皮膚の感触はあった。
歩けるのを確認して、尿管を抜いて貰った。
ここまでくると恥ずかしいとか照れるとかほぼ無く、
ただなされるがままになっていた。
抜けるときに痛いのでは、とびびっていたが、なんともなかった。
管がひとつ抜けるだけでこんなにも体が自由になるなんて・・・!
そのあと、体拭きをした。
体を拭いてくれるのかと思っていたら、
おしぼりを渡され、自分でどうぞ、って感じだった。
少し恥ずかしくなった。
自分でできるのに、勝手に病人ぶってしまった。
自分で拭いたのだが、左手は点滴があるため
拭くのはかなり大変だった。
背中は看護師さんが拭いてくれた。気持ちよかった。
拭き終わると、かなり爽快感があった。
もちろんシャンプーは出来ないので、頭は気持ち悪くなってきていた。
考えないようにしていた。
その後山崎先生が来て、傷の状態をチェック。
手術の傷は、おへその中に2㎝程度、
おへそから下15㎝あたりに約4cmの傷が横一直線にできていた。
傷の上から透明のシリコンテープのようなものが貼られていた。
よくある傷を目立たなくするアレに似てる。
先生は歩いて下さいね、と言い、去っていった。
歩いてと言われたのを私は真面目に受け止めたのだが、
病院内、特に行くところ無いんだよなあ。
母が来るというので、それまで結局ベッドでゴロゴロ・・・
昼食からやっっと食事が提供された。
やわらかーい白身魚と菜っ葉、お粥。
お粥がどうしても食べられなかった。
少し残した。
でも9割は食べることが出来た。
いいことだ、と思う。
14時頃母到着。
少し話したあと、母が病院内のコンビニに行くというので、
ちょうどいいので、一緒に散歩をすることに。
点滴持ってパジャマでうろうろするのって、ほんと病人だ。
ゆっくりしか歩くことが出来ない。
母は私の散歩を見届けたあと、帰宅。
帰りもロビーまで歩いてお見送りをした。
ロビーまでは結構キツかった。
頑張りすぎたかな。
だいぶ体の自由が利くようになって、
元気になった気がしているのだが、
何かしよう!
本読もう!
という程の体力、気力は無く、
何となーくしんどい、だるい感じが続いていた。
手術したばっかりだもんな~。
でも自分の想像以上に体が元に戻ろうとしているのを感じて、嬉しかった。
点滴はいつまで続くのかな。
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