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手術後。
とにかく苦しい。
気持ち悪い。
切った箇所と思われるお腹はもちろん、体の節々が痛い。
特に両腕。
看護師に「どうですかー」と言われると、
「気持ち悪い」
の言葉しか出てこなかった。
吐き気しかなかった。
すぐに吐き気止めを点滴に入れてもらい、少しマシになる。
まだ麻酔は切れておらず、寝ては起き寝ては起き、を30分ごとに繰り返す。
起きてはうんうん言い、小一時間後にまた気持ち悪くなり、
看護師さんに訴えたが、先生に確認してもらい、
吐き気止めは入れて貰えなかった。
だが胃の中には何もないため、吐くには至らなかった。
あとで聞くところによると、
手術は11時30分頃終了。2時間半の手術だった。
その後15時くらいまで寝て、起きてうなされる、を繰り返していた。
体が動かせず(痛いし、体に色々なものをつけられていた)、
本当に辛かった。
そして体が熱くて仕方がなかった。
看護師が体温を計ると、38.5℃前後をさまよっていた。
暑いと訴える度に、母が背中に冷えた手を入れてくれたりして、
どうにかしのいでいた。
この時私のために、かなり部屋を涼しくしていたようで、
部屋の中で母は凍えていたらしい。
あとは左を向くと窓から日の光が射していて結構眩しかったので、
右ばかり見ていた。
動けないのは辛く、とにかく両腕が動かせないのが本当に痛かった。
また、手術中に装着された尿管が気持ち悪かった。
ちょっと動くたびに、膀胱を刺激されていた。
このまま動いて管が抜けちゃったら嫌だな、といらぬ心配をしてしまい、
余計動きづらくなっていった。
じっとしているとだんだん腰も痛くなり、
体位を変えるたびにお腹が痛くて。。。もう辛い。。。。
現在の私の装備状態はというと、
口→酸素マスク
体→ワンピース上になっている前開き可能なパジャマ
下半身→尿管。勝手におしっこが出てる
左手首→点滴
ひざ下→足の血流を保つための圧式ポンプのようなもの。
満身創痍だった。
そんなこんなで時間がたつと、吐き気も、体の熱もだいぶ落ち着いてきて、
17時頃に「夕飯の支度しないと」と、母は帰っていった。
一日中いてくれたんだね。
ありがとう。
18時30分頃に仕事終わりの父&妹が見舞いに来てくれた。
2人は興味ありげに一通り部屋を散策して、しゃべっていった。
雑誌を2冊買ってくれた。今はまだ読むことができないけど。。。
19時過ぎに帰っていった。
この時、私は普通に父と妹に対応していたつもりだったのだが、
母曰く、
「パパが心配してたよ。あんた全然呂律が回ってなかったって」
と後に話してくれた。
夕方でもまだ麻酔が残ってたのかな。
まともに喋れていなかったらしい。
その後もずっとうんうんうなされ、水も飲めず、テレビも見ることが出来ず、寝てはうなされ、起きてもうなされ。。。。
ずっと繰り返して夜中まで過ぎていった。
というか、朝までそんな調子だった。
30分~40分おきに起きて、
辛いー早く朝になれー眠くなれー
って感じで。
携帯もほとんど見ることが出来なかった。
メガネすらかける気が起きなかった。
お腹も空かなかった。
この状態で下剤の効果が出たら、終わりだな。
と悩んでいたが、そんな気配もなかった。
手術自体は麻酔しているから全然記憶にないし、
辛い感覚はないけど、
術後の麻酔の副作用の気持ち悪さったらありゃしない。
早く時間よ過ぎてくれ。
そう思うばかりだった。
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